GOOD EVENING WONDERFUL FIEND

JOLLY ROGER〟というのが、海賊旗の俗称であるというのを初めて知った。
散々語りつくされているアルバムなので、今さら何を付け加えるということもない。
80年代のロックシーンを代表する1枚。ジャパニーズ・ロック名盤100選、なんてものを選ぶとしたら、間違いなく上位にランクされるはず。


GOOD EVENING WONDERFUL FIEND(紙ジャケット仕様)(DVD付)

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以下、別のところに以前書いた文章を転載。長くなるので畳みます。



いたいけな高校生時代、ライヴハウスっつーのは私にとって、手の届かない憧れの場所でありました。あーいうところは、真っ赤な口紅に黒のマニキュア塗った、黒づくめの格好をした綺麗なお姉さまたちがぎょうさんおるところで、そうそれはまさしく当時のバンド少年少女たちのバイブルであった漫画『TO-Y』『KISS××××』の世界。眉毛の手入れもおぼつかない、もっさい田舎の高校生ごときが足を踏み入れるようなところではなかったのですよ。
自由になるお金もないし、家も厳しかったし、とうていライヴハウスだなんてすんなり行かせてもらえるような環境ではなく、かといってそこで〝ぬーすんだバーイクではぁっしりぃだすぅー♪〟方面に走るほどの根性もなかったので、ああライヴ行きたいライヴハウスに行ってみたい、とじりじりしながら福岡で雌伏の時をすごし、んでまあめでたく東京の大学に入学した後念願のデビュー(笑)を飾るわけですが、そのころになるとライヴハウスもだいぶんカジュアル化しており、昔の、主に雑居ビルの地下にあるようないかにも穴ぐら(笑)くさい、アングラ臭漂うような雰囲気のハコは少なくなってしまってたのです。大学時代、1番通ったライヴハウスっつったら、実は新宿のリキッドルームかもしくはパワーステーション。川崎チッタもわりとよく行ったな。ロフトや鹿鳴館といった、古式ゆかしい〝ライヴハウス〟には、結局足を運ぶことなく今日まですごしてしまいましたね。
(機会がなかったわけではないんだけど、なんかね、タイミングが合わなかった…ロフト初見参になる予定だったリディアン・モードのライヴが、当日直前でキャンセルになっちゃったこととかもあったし)
そういう意味で、まだ今の場所に移転する前の、博多駅前にあった頃のBe-1は、大好きなハコでしたよ。バンドの告知チラシやらステッカーやらをベタベタ貼りまくった、せまい階段で地下に下りていってだね、ピンク映画館のチケット売り場みたいな受付でチケットもぎってもらってね(って行ったことあんのかよピンク映画館)、重いドアそーっと開けるともういきなりそこはステージ、みたいな感じでねえ。私が憧れつつも、怖くて足を踏み入れられなかった〝ライヴハウス〟のイメージを、濃厚に残したハコであったと思うです。今のBe-1は、中の内装なんかは昔の雰囲気に近く作ってますけど、立地がねえ。やっぱりライヴハウスは、地下に潜らなくては(笑)。



んでだ、何を言いたかったのかというとだ、そういう夢見るヲトメの憧れというか、誇大妄想の対象というか、な場所であった〝ライヴハウス〟空間を、もう1度思い出させてくれるようなバンドが、私にとっては少しばかり登場が早すぎて、リアルタイムで体験ができなかった、80年代中期のバンドたちだったりするわけですよ。DEAD ENDとか、GASTUNKとか、ローザ・ルクセンブルクとか、暗黒大陸じゃがたらとか、そしてこのウイラードだったりとか。
ライヴハウスが、本気でヤバくて、アングラで、うっかり足踏み入れたら何されるかわかんない(笑)、魔物の巣窟のようにみえていた時代。
いや、まあ、リアルタイムで体験している人たちにとっては、決してそんなことはなかったんだろうとは思うのですが(苦笑)、しょせん私はイカ天世代ですから。バンドが〝ブーム〟だった時代の、落とし子ですから。バンドがマイナーであり、アングラであり、まともに食ってなんていけるわけのない(笑)、でもだからこそ、その世界を知っているものは誰よりもとんがっていてカッコよかった。そういう風になぜか見えるんです、80年代のバンドって。



サイレンのような不穏なギター、疾走感というより何かに追い立てられてるみたいな性急さに満ちたリズム、メジャーコード満載のメロディなのに、なぜか強烈に闇のにおいを感じさせる、唯一無二のパンクロック。いやあ、本当にかっこいい。
この音を、この存在を、リアルタイムで体験したかったよ、つくづくと。無理だ。私は当時、田舎の小学生だ。もうちっとだけ、早く生まれてきたかった。

そういうことなのだ。
青臭く、子どもじみた考え方だとわかってはいるのだが、それでもやっぱり、いまだに『ロックは不良の音楽だ』と思っていたい自分がいるのである。
行き場のない鬱屈した衝動を、〝ぬーすんだバーイクではぁっしりぃだすぅー♪〟方向に走る勇気もなく、『不良のための音楽』を聴くことで無理やり解消していた、そんな小娘のころの自分を、このアルバムは強烈に思い出させてくれた。
いわば、なにゆえにロックを聴くのか、何ゆえに自分はロックを必要としているのか
その原点を今さらながらに再確認させてくれた、私にとって、これはそういうアルバムなのです。



でも、実際に盗んだバイクで走り出してたような人たちってのは、多分こういう音楽聴いてなかったはずなのよね(笑)。
盗んだバイクで走り出す勇気も根性もない、内向的な少年少女たちが、インマイルームでひたる妄想の類だと思うのですよ、このアルバムで描かれていた世界は。海賊、名もなき兵士、吸血鬼、追われて荒野をさまよう夢魔。墓場を這い出してきたゾンビ。
それは、おそらく10代の帯賀淳少年が、やはり盗んだバイクでは走り出せずにインマイルームに閉じこもる傾向にあったからであって、でもだからこそ、これだけ日本人離れしたダークな虚構世界を、とんでもないリアリティをもって音楽に昇華できたんじゃないのかしら。
で、そんな夢見がちで内向的な少年が、20年の月日を経て〝盗んだバイク〟ではない自らのバイクで外に飛び出して、それでもなおかつ「俺はいまだにドリーマーで」と歌ってしまう。
それがなんか、とてつもなくうつくしく、いとおしいなあと思う次第であります。うん、これは『MY SWEET JOURNEY』のお話。




しかし、最初に聴いたときには魂消ましたわな。何にって、JUN先生の音痴っぷりに(笑)。
いや、音痴というのはちょっと違うか。ヴォーカルが思いっきり先走ってるんですよね、歌メロから。1.7拍くらいズレている。
慣れるまでは、相当気持ち悪かったです(苦笑)。それこそ船酔い気分。今ではもう、それも味のうちだと思えるのですが。