『アリシア』について思う2、3の事柄

■“SMALL TOWN”が好きだ。夏の昼下がり、誰もいない公園の砂場、緑と木陰、うるさいほどの蝉の鳴き声。朽ちかけた遊具。水たまりと土のにおい。そういうのが、目の前にパッと浮かんできた。教授のギターソロは、回るメリーゴーラウンドの幻影のようで。チバの声がとてもやさしい、素直でやわらかい。こういう声でもまだ歌えるんじゃんね。
ライヴでやってくれるなら、チバの弾き語りで聴きたいな。教授のギター付き。ん? それってバンクローバーズじゃん(笑)。


■一応、“アリシア”がリード曲ではあるんだけど、シングル+カップリング3曲というより、4曲がそれぞれ対等なキャラクターを持つ、ミニアルバムみたいだ。1曲1曲、独立しつつもゆるやかにつながっていてひとつの流れが明確にある。すごく、“四季”を感じさせる流れだと思ったんだけど、どうだろう。“アリシア”の疾走感は、木の芽吹く春。“SMALL TOWN”が夏、“FUGITIVE”が秋の終わりで、“オオカミのノド”が凍てついた冬の雪山。


■ハルキのベース。“アリシア”は最初聴いた時、全然ベースが目立ってなくって正直拍子抜けしたんだけど、この曲の、なんていうのかなあメジャーとマイナーの間をふらふらと行きつ戻りつするコード感。曲全体にうっすら漂う不安定な感じ、焦燥感とか切迫感を呼び起こすそれは、このコードのゆらぎからきていると思ったんだけど、それを作ってるのってハルキのベースなんだな。めちゃくちゃシンプルなのに、曲のいちばん肝の部分を担ってるのは、結局のところあの低音。


■そういえば、FACTORYのライヴでチバ、アリシアの「泥沼チック それもいいね」のところ、「泥沼“ファック”」って言い換えて歌ってましたが、本来はそういうつもりで書いた歌詞なんだとすると、この曲の解釈ガラっと変わるですね。いきなりこう、なんつーか、退廃のにほひというか。『俺たちに明日はない』風味というか。ただごとでないのっぴきならなさが、いきなり漂ってくるようだと思いませんか。その場のノリで適当にアドリブかましたのかどうかは知りませんが、なんか深読み誘うフレーズだわ。どうでもいいけど、PVに出てくるアリシアのイメージ、らしき女の人のシルエットは、かなりいただけません。曲のイメージと全然違うじゃーん、ってだったらどういうイメージだったらいいのかっつったらすぐには具体的に浮かんでこないので(笑)、むしろああいう女性のイメージを限定させてしまうようなショットはいらなかったと思う次第。



アリシア

アリシア




とあるところで書いた、『アリシア』コメントを転載してみる(笑)。


やべえええ。マジかっけええええ。シンプルでまっすぐで、めっちゃくちゃヒリヒリしてんのに、なんかどっか切ない。チバの歌も、つんのめってて青臭い。ホントにかっこいいものを知ってる4人が、衝動のまんまにかっこいいもんだけ鳴らしたらこうなった、そんなありきたりにして単純明快なロックンロールだ、“アリシア”は。カップリングがまた贅沢。夏の日のまぼろしのように、静かで淡々と美しい(2)“SMALL TOWN”。ハリソン・フォードでおなじみの(3)“FUGITIVE”に(4)“オオカミのノド”は、去年のツアーからやってるライヴの定番曲。それぞれキャラクターの違う4曲は、まるで短編映画のオムニバスみたいで色あざやか、表情ゆたか。私たちを違う世界にぶっ飛ばしてくれる、20分ちょっとの素敵な魔法だ。この夏はフェス三昧の彼ら、9/12には待望の2ndアルバム『TEARDROP』を発売、そして年末にかけての怒涛のツアー開始である。やべええええどうしよう。楽しみすぎて吐きそうだ。マジで。