心の琴線をわしづかみにする曲

というのがいくつかあります。自分でも理由はまるでわからねど、とにかく胸の奥がぎゅうううっと搾り取られるみたいになって、鼻の奥がつーんと痛くなって、わけもなく涙腺が刺激されて、でも涙は出ない、みたいな。それはたとえば、dipの“稀有”だったりLUNA SEAの“JESUS”だったりZIGGYの“GLORIA”だったりlego big morlの“溢れる”だったり、もしくはバルトークの「管弦楽のための協奏曲」の第5楽章の真ん中らへんだったり「ワルトシュタイン」の第1&第3楽章だったりドビュッシーの「喜びの島」のラストだったり、はたまた「バビル2世」のOPだったり(笑)「大江戸捜査網」のOPだったり(大笑)、なんかもう我ながら基準がどこにあるのかもさっぱりわからないカオスなことになってるのですが、とにかくなんだ、いわゆる“泣き曲”でもなんでもないのに妙に感情のツボをぐいぐいと押してくる曲、というのがあるのですね。わたし的に。
baroqueの“ガリロン”も、わたしにとってはそういう曲なのです。





もうね、理屈じゃないの。自分でもよくわからないんだもの。だからレビューにもなにもならないんだけど(笑)、なんというか単なる曲の好みとかどうとかそういうのすら超越して、自分の中のものすごく奥深くにしまいこんである記憶? 原風景? みたいなものを、根こそぎ引きずり出してくるみたいな、そんな感覚? 正直この感覚をどうやって言葉にしていいのかわかんなくて、だから今わたしがどうしてこんなにbaroqueに心を奪われているのかという説明がまるっきりできないわけですが(笑)、まあとにかくそういうことなんです。どういうことなんだ。



sug life

sug life


シューゲイザーエレクトロニカ下北系ギターロック、時々ドラゴンアッシュ(笑)、というDA以外は(あ)すべてわたしの好きなものだけで構成されているアルバム。なので、なんで今頃になってこんなにハマる羽目になってるんだかっていうかどうもわたしはそういうケース多すぎやしないか、と自問自答せざるをえないのですが(苦笑)、一応言い訳しとくと彼らがオサレ系でぶいぶいいわせてた時期はまだわたしもかろうじて現役バンギャで、しかもタチの悪いピエラーで(笑)、彼らのマジなんだかシャレなんだかよくわからない活動っぷりとか漏れ聞く素行のアレさ、だとかが鼻についてしょうがなかったわけですよ。こういうバンドがいるからV系なめられるんだわ、なんてマジで腹立ててたからね、ああ痛々しい!(わたしが) でまあこの「sug life」なんですが、単なる“わたしのすきなもの”で出来てるアルバムってだけなら、ああいいアルバムだねこの音すきー、で終わってたと思うんですが、なんていうのかなあ、それだけで終わらせてたまるか、みたいな鬼気迫るパワーが、このアルバムにはあるように思うのです。作り手が、本当にこの音にのめり込んでのめり込んで、これをとにかく世に出したい、世に問いたいんだ、と聞き手の胸倉つかんでくるような。荒削りだし、決して引き出しそのものは多くないけれど、そのかわり外に向かって開かれた、剥き出しの迫力みたいなものがすごく感じられる。これ、もう1度やれって言われても無理だろうなあ。あのころの、本当に音を奏でることに飢えてた時期の彼らだからこそ作れたアルバムだと思う。一期一会の魅力。



このPVはロケーションが素晴らしすぎる。景色眺めてるだけで眼福(笑)。ついでに言うと、あっくんが痩せててマジでハンサム(爆笑)。
あ、ちなみに、シガー・ロスとかスピリチュアライズドをフェイバリットに挙げているセンスに共感せざるを得ないという理由で圭ファンなのですが、顔は断然万ちゃんが好みです(笑)。若いころのJさんの、超ハイブリッドな完成形! いや万ちゃんもう若くないけど!(笑)ついでに、あの可愛い以外にたいして取り柄のなさげな感じが、なんだか非常に癒されます。って、失礼にもほどがあるぞ、わたし!