THE TOWN IN DESTINY

The Town In Destiny

The Town In Destiny


ポップなものをやりたかったんだと思います、東芝時代のWILLARD(というかJUN先生)は。
なにをもってポップ、というかの定義は難しいところですが、イコール〝わかりやすい〟という一点のみに強引に絞るとすれば、これはもうWILLARD史上最高のポップ・アルバム。とにかく、本当にわかりやすいです。メロディはくっきりはっきり、ホーンにピアノにストリングスにとバンド以外では出せない音ももりもりぶち込み、それでいて、ちゃんと疾走している。どんなに音重ねまくっても、もたつかずにドライヴしてる。
マカロニ・ウエスタンだったり、ヨーロッパのフィルム・ノワールだったり、20年代のシカゴの暗黒街だったり、相変わらず時系列もめちゃくちゃな無国籍世界が広がっているのですが、『さまざまな〝街〟にまつわる9つのストーリー』というコンセプトを掲げて、映画のサントラのように仕上げているので、むしろまとまりよく世界観を明確に伝えられる。
これでもかといわんばかりに親切なつくりです。それでいて、WILLARDの持ち味を殺してはいない。前作のシルバーガンズでも、たぶんこういうのやりたかったんじゃないかと思うのですが、あのとっちらかりまくりが嘘のように、やりたいことがきちんと整理されててそれを上手く表現できてる。これはやはり、土屋昌巳恐るべしといったところなのでしょうか。
それまでのWILLARDが、パレットに4色しか絵の具がなくって、その4色をあーでもないこーでもない、と混ぜ合わせて欲しい色を作ってたんだとしたら、このアルバムではいきなりパレットの絵の具自体が32色くらいに増えた、とでもいいますか。その、今まで持ってなかった28色を、ぽんと持ってきてくれたのが土屋さん。曲のひとつひとつが、格段にカラフルになった。でも、あえていうなら、その絵の具をすべて使いこなせているわけではない。今まで混ぜ合わせて作っていた色が、単色でもとてもクリアに出せてしまうので、嬉しくてついそればっかり使ってしまう状態(笑)。色を混ぜ合わせることで生まれる微妙な色合い、みたいなのがあんまりないので、なんか全体の印象がどぎついのですね。まあ、そのどぎつさはわかりやすさにもつながるわけで、それはそれでアルバムの方向性からは外れてないから、成功といえるのかもしれん。



いやもうとにかく、最初に聴いた時にはびっくらしましたわ、あんまりポップで。ぶっちゃけ歌謡ロックで(笑)。
歌謡ロックというか、洋楽の歌謡曲という意味でのラウンジ・ミュージック、みたいな感じにしたかったんだろう。〝JUSTICE〟とか〝HOLY JUDGEMENT DAY〟とかめちゃめちゃテンション上がるし、〝GOOD-BYE VACANT DAYS〟もいい。詞がいいね、この曲は。
…なのですが、どうにもなんだか一抹の気恥ずかしさを拭えないのであります(笑)、通して聴いてると。なんでだ。何かが少しづつ味付け濃いからか。〝JUSTICE〟のサビが、どう聴いても1○5Rのあの曲だからか。*1〝ROSE OR LOSE〟までいっちゃうと、あーはいはい〝Eloise〟やりたかったのねー、みたいなノリでむしろ微笑ましいのだが(笑)。
けっこうよく聴くアルバムではあるのですが、だからといってWILLARDのアルバムの中でも特に好きなアルバムか、と聞かれるとそうでもない気が(苦笑)。完成度が高いから、1曲聴き始めるとつい引き込まれて最後まで聴ききっちゃうのですが。
東芝時代のアルバムでは、グロリアが1番好きだったりします。『Mercy〜』『GONE〜』除く(未入手のため)。



個人的に残念なのは、このアルバムのみFLYING ACEの復刻ではなく東芝の廉価シリーズの中のひとつなので、グロリアやシルバーガンズのオフィ盤に掲載されたライナーや対談とかが、いっさいないわけですね。
このアルバムの前後といったら、シンコーやめたり、JUN先生がぶっ壊れたり、KLANさんが脱退したり、とWILLARD四半世紀の歴史の中でも1、2を争う激動の時代だったはずなので、そこらへんのいろんな裏話を、当事者たちの口から語っていただきたかったな、と。

*1:○に唄えば…だっけ?