Angelo/5.26 福岡DRUM Logos

PA卓の後ろ若干右寄り、というなんとも中途半端な位置にて観戦。なので、メンバーあんまりしっかり見えませんでした。なんかキリト兄さんが、首から長いマフラーだかスカーフだかをぶら下げてたのだけは覚えてる。あ、アンコールのKOHTAも。黒のタンクトップでした。タンクトッパー(笑)。以下、ライヴレポでもなんでもない、本当に単なる感想というかほぼ妄想に近いので、追記にて自主隔離。



10年前に初めてPIERROT、というかキリト兄さんを知った時に、ものすごく感じたのが、うわあなんて世の中への怨念に満ち溢れたバンドなのかしら、と(笑)。自分という存在を受け入れてくれなかった世界に対する、猛烈な復讐心というのを、『パンドラの匣』というアルバムから私は受信しまして、そこにまず惹かれたのであります。しかし時がたつにつれ、PIERROTがそれなりに成功するにつれてそういったキリト兄さんを音楽に向かわせた初期衝動、みたいなものは薄れていくわけで、代わりの“表現に向かう動機”を模索せざるを得なかったというのが後期PIERROTである、と。
Angeloでのキリト兄さんは、そのいっちばん最初の怨念とか復讐心、みたいなものがふつふつと甦ってきているように思うのですが、うーん、なんというかその表出方法がいまひとつ中途半端かなあ、と。これは、Angeloのアルバムを聴いた時にも思ったことなのですが、下手にキャリア積んで、ある程度芸風をガッチリ確立してしまっているがゆえに、どうもそこからはみ出た八方破れのオモシロさがない気がするのですね。『パンドラ〜』の頃は、確かにまだいろいろとつたないんだけど、その分、ええいままよ!失敗してナンボ!の妙ちきりんな潔さ(笑)に満ちてて、それがあのアルバムから伝わる、なんだかよくわかんないパワーになってたと思うのです。今が別に悪いといってるわけではないんですが、こっちもどうにもこの10年の間にスレまくってしまってますので(笑)、なんかこうね、手癖が見えちゃうんだよ。ああはいはい、こうきてこうね、こういう詞にこういうメロディね、このテンポね、みたいな。元々兄さん、引き出し多い人ではないですし。いやまあ、この芸風のまま、あと20年続けられれば立派な伝統芸能の域に達すると思うんですが(笑)。
Angeloを軌道に乗せるために仕方のなかった面もあるんでしょうが、やっぱり突貫工事的に曲を作ってしまった感はどうしても拭えなくって、それが私がライヴ前半、あやうく眠りの国へと旅立ちそうになってしまった(ええー)曲の単調さ、につながるんだと愚考するわけであります。ひとつの曲のアイディア、詞のイメージを、水増しして3つくらいに振り分けてる感じ。悪くはないんだけど、いまいちインパクトやフックに欠ける感があるのは、そういうところからきてるんじゃないかな。だからAngeloがダメだ、なんていうつもりはまったくないです。悪かないよ、でももっとできるだろ?と。そういう、かゆいところに手の届かない感。今はまだ曲数が少ないがゆえによけいにそう思うのかもしれません。アルバム3枚分くらいに曲が溜まれば、自然に淘汰されていくでしょう。何がいいたいのかというと、TAKEOさんとKOHTAはさっさと兄を黙らせるだけの曲を書け、と(笑)。バンドの幅も広がるし、何より兄が悔しがって(笑)、それがまたモチベーションにつながると思うんだ。兄に、手癖をぶっ壊させるくらいの刺激を与えてやってくださいよ、と。



…と、ライヴを見ながらぼんやりこんなことばっかり考えてた私で、本当に申し訳ない(失笑)。“REBORN”は2曲目とアンコール、と2回やりましたが、あれは本当にかっこよかったです。おお、これぞ“ライヴで育つ”というやつね、と実感。Angelo一発目としてコレを世に出した理由、というのもなんとなくわかってきました。フロアの盛り上がりもいい感じだった、兄いわく「ツアーももう後半だけど、今んとこ福岡のキチガイっぷりが1番! トップ!」だそうだ。PIERROT時代から、福岡は兄さんいつもご機嫌ですよね。やっぱり土地々々によって、そういう相性みたいなのって、あるんだろうな。
そして、こんな私がPIERROT時代はアイジャーだった、なんつっても、もはや誰も信じてくれないような気がする…(苦笑)すまん、まだもこちゃんズは見たことないのだ。つい先週、Be-1でライヴあったのに、そのことを知ったのはライヴ翌日でした(撃沈)。1回くらいは(怖いもの見たさで)見てみたい気もするんだけどな。