さよなら「ヴィジュアル系」〜紅に染まったSLAVEたちに捧ぐ〜


(ここから先、書評でもなんでもない単なるチラ裏自分語りが、キモいほどえんえん続きます。地雷注意。)
■今だから言うが、というかワールドワイドウェブにてぶっちゃけるのは実は2度目なのだが(笑)*1、何しろ私は『酒呑み日記』に登場するのが夢で、就活の際にシ○コー・ミュージックをはじめとして各音楽媒体・レコード会社の採用試験受けまくったという、たいそう恥ずかしい過去の持ち主*2なので、この本で書かれているモロモロに関していうと、もう完全に渦中の人なのです。XやLUNA SEAや、その他諸々のV系バンドの皆さまを“心の拠り所”として生きていた、“思春期特有のネガティヴィティーを抱えた少年少女たち”のうちのひとり。ちなみに大学は、某バンドの某メンバーが進学予定にしていたというところをわざわざ選んだ(笑)。今の仕事にしたって、彼らに出会わなければ間違いなくやってなかっただろうし、そういう意味では本当に、あの時代をリアルタイムで体験してしまったがゆえに人生が大幅に狂った犠牲者(笑)、なわけです。


■高校1年でXに衝撃を受け、大学の4年間は恐ろしい勢いでLUNA SEAに金を突っ込み*3、しかしその一方で順調に洋楽リスナーとしても、シューゲイザーにはまってみたり、ブリット・ポップの大波にさらわれてみたり、60年代からのロックの歴史をお勉強してみたりとそれなりにいろいろと耳を肥やしていったわけで、するとどうなるのかというとですね。隠すようになるのです。実はヴィジュアル系大好きだったり、その手のライヴ通いまくりだったり、なことを。あ、周りの人々にはとっくにバレバレでしたけどね、当時の職場とか*4。でも、「いい歳して恥ずかしいよね私ったら〜いやーねごめんなさいね〜っていうか悪いかこの野郎実はPENICILLINも好きだよなんか文句あっか(←なぜか逆ギレる)」「でもスミス全部持っててモリッシーの初来日公演も行ったんだよ」「オアシスの初来日ライヴも観てるよっていうかやっぱりベックは『ODELEY』が最高」みたいなポーズは一貫して崩さず。要するにもう、『恥ずかしい過去』だったの。いや、過去にしたいんだけどまだしきれてないという、よりいっそう残念な状態(笑)。


■それこそまさにオーケン言うところの、

だから、今でこそ皆「キッスが大好きだった」とか言ってるけど、僕らはそれが恥ずかしくて言えない時代だったの。レッド・ツェッペリンとかキング・クリムゾンとか聴き出した高校半ばの頃は、「実はキッスが好き」だなんていえなかったよ、恥ずかしくて。それと一緒なんじゃないかなー。

…はい、おっしゃる通りです(失笑)。隠す、もしくは隠し切れないならいっそ自虐ネタにして笑いをとる。その状態が、本当につい最近までずっと続いてたんですね、私は。だけど、ここ数年かな、V系好きなことをなんら臆することなく朗らかに宣言する若者に身近なところで出会ったり、昔のXやインディーズ時代のLUNA SEAの話をするとやたらと感心してもらったり、それこそ9mmくんみたいなバンドが出てきたり(笑)、とずいぶん状況が変わってきたなーと肌で感じる機会が増えて。あ、ひょっとしてもうこれって恥ずかしくないの? 堂々とカミングアウトしてOK? むしろ、『あの時代』をリアルタイムで体験できた私、超ラッキー? みたいな。


SUGIZO氏のくだりででてきた、「あの当時のムーヴメントは、アーティストとファンが結託しておこした一大集団闘争だった」みたいな見解には、全面的に同意するものでありますが、要するにそれって、当時の“V系”くくりに入れられていたミュージシャンと、彼らを支持するファンに対する、世間のキッツイ偏見があったからですよね。世間一般には、気持ち悪いだの宗教みたいだのと気味悪がられ、遠巻きに笑われ、一方で「良心的な音楽ファン」からは、化粧して派手なカッコして、音楽的には中身がない、みたいに馬鹿にされてね。あ、私が洋楽に走ったりいわゆるロキノン系(笑)のミュージシャンも怠りなくチェックしてたのって、それが悔しかったからっつーのも確実にあるな(笑)。言っとくけど私は君たちの好きなものも嫌いなものも全部聴いてるよ*5、という。で、そういう偏見に晒され続けていたがゆえに、内側の結束が強固なものになったのだと。アーティストとファンの間のこう、妙な連帯意識? 市川氏は“一族”と言ってたけど、そういう感じは確かにすごくあったような気がします。


■もちろん、この感じ方には個人差はあるはず。例えば、当時LUNA SEAだったりPIERROTだったりを一緒になっておっかけてたような友人たちは、あんまりそこまでの深い思い込み思い入れは感じてないと思う(笑)、正直。で、それはもうひとえに、『市川氏が当時「JAPAN」や「音楽と人」で書いてた原稿をひたすら読み込んでいたか、そうでないか』の差でありましょう。周りの友人たちも、市川氏の文章はいろいろ読んではいたはずですが、彼女たちは恐らく、フールズメイトとかショックスとかB-PASSとかの他音楽雑誌と、同列に置いていたような気がします。私は何しろシ○コーの新卒試験受けちゃったくらいだから(失笑)、確実にもう別格扱いだったもんな。あ、グループ面接で市川氏と対面しましたよ、そういえば(笑)。


■というのも、うっかり洋楽の深みにはまってしまったがために、いわゆる「良心的音楽ファン」(笑)からの謗りをじかに受ける機会も多かったわけで、そういう私にとって“ROCKIN' ON出身で洋楽にも精通している、ちゃんとした音楽評論家”であるところの市川氏が、V系の人々を理論武装でもって全面的に支持してくれている、しかもミュージシャンたちに打算を超えた愛情注いでくれて彼らからも信頼されている。というのは、本当にものすごく心強かったのです。だっていなかったんだもん、他にそういう人。大島暁美さんとか、SHOXXの星子編集長とかフールズの羽積さんとかいろいろいたけど、やっぱりなんだかんだで“ROCKIN' ONの人”というブランドは当時はまだ大きかったのよー。実際私も、ロキノン本誌はずっと定期購読してたし*6。今はもうたいがい海千山千のオバさんなのでw、ちょっとくらい評論家にけなされたり「良心的(ry」に馬鹿にされても、はいはいワロスワロスで生温かくスルーですけど。好きなモンは好き、と躊躇無く言い切れるくらいには図々しくなりましたけど。でもまだ、完全に自分の価値観が出来上がる前の、10代〜20代前半の話ですから。いろいろと右往左往したり、胸を痛めたり(笑)してたわけですよ。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったブランキー・ジェット・シティの信者に、LUNA SEAのことを「あんなもんロックじゃねえ」なんてリアルで散々けなされたことがあるのですが*7、そういう時に、「でもJAPANでブランキー担当してる市川さんが、同じようにLUNA SEAの記事だって書いてるじゃん!」と(失笑)、心の拠り所にできたのね。



■まあ、ようやく私もあの時代のことを『いい思い出』にできるようになったのかな、とこれを読んで再確認できた感。「あの頃に戻りたい」とかいう後ろ向きな『思い出』ではなく、あの当時をリアルタイムで生きた、体感できたことに感謝し、誇りに思い、それを糧として“今を頑張っているミュージシャンたち”に全力で向き合っていく。ということを、今さらながらに胸に決めたというか。よーし明日からまた頑張るぞーいろいろと(棒読み)


■最後にもうひとつ、思ったこと。これはもう完全に“歴史のIF”なのですが、もしヒデちゃんが10年前にうっかりいなくなったりしなければ、そして時を前後して市川氏がぶっ壊れて(笑)八つ墓村に引きこもるようなことにならなければ。…間違いなく、市川氏の引き合わせによってヒデちゃんとチバユウスケは、邂逅を果たすことになったであろうなあ、と。ヒデちゃん、ミッシェル気に入ってたし、市川氏は『音楽と人』時代の最後の方で、かなり強力にミッシェルをプッシュしてたし。自分のラジオに呼んだりしてたし、一緒にロンドンに行ったりしてたし、実際にウエノとTAKURO引き合わせたりしてるし(笑)*8。ヒデちゃんもチバも、すんごい酒呑みなうえに世代も近いし音楽マニアだし…ふたりともダムド好きだし…(笑)。もう絶対にかなうことのない話というかほとんど妄想wなのですが、でももしそれが実現していたら、ひょっとしたらそこでいろいろな歴史が変わっていたかもしれないんだよね。いや冗談でなく。98年以降の日本のロック史が書き換えられるような何かが生まれたかもしれないし、もちろん生まれなかったかもしれない。でも、そうなる可能性は充分あったんじゃないかと思わせてくれるわけで、そしたらJさんとウエノだってもっと早くにマブダチになれてたかもしれないし(笑)*9、とにかくかえすがえすもそれが残念無念。

*1:昔別のところで書いてたブログで、このシリーズの第1作目のかんそー文を書いた。ここ

*2:同じく『酒呑み日記』をキッズのころに愛読し、この中に交じりたい!とメラメラ野望を燃やしていたのは、元PIERROT現Angeloのキリトお兄様。うわー兄と同レベルか私。

*3:「行き当たりばったりなXに放置され続け」た挙句に、「他のアーティストの倍速で進化するその成果を、意欲的に続々と作品やツアーで発表してくれるLUNA SEA」に浮気w、という典型的なパターンをたどる。もっとも、私はそこで浮気のつもりが本気になってしまい、容赦なくXは見限ったのだが笑。本文P189より。

*4:だってPIERROTのライヴで東京行くんで休みまーす、とか言って堂々と有休とったりしてたんだから。ああ、この矛盾。

*5:これはまさに、ヒデちゃんが今井先生との対談で言ってたセリフだ(笑)。

*6:とか言いつつ、市川氏の洋楽方面の文章は実はほとんど読んでおらず、当時のロキノン本誌では増井修氏の文章が1番好きでした笑。スウェードを市川氏にけちょんけちょんに書かれた時には、かなり真剣に殺意を覚えたのはここだけの話。

*7:それでブランキーが苦手になってしまった。ブランキーには罪はないので大変申し訳ないのだが、いまだに根に持っている。

*8:ていうか、どう考えてもこのロンドン紀行がrally結成にいたるなれそめでございますわね

*9:こないだJさんのラジオにウエノがゲスト出演。2年ほど前に、某飲み屋笑にて知り合ったらしい。ここでその一部始終が見れます。